人それぞれが判断する「善悪」を何故ここで述べたかと言えば、「自分らしく生きる」事や「自分なりに願いや望みを叶えるには」この「善悪観」のようなものを一度じっくり考えてみたり、その時々で色々な先入観から解放することがとても大切なことだからです。
「善悪を判断する基準」は人それぞれに違うでしょう。
もちろん社会や民族、時代や文化、個々の集団により、共通する善悪の基準もあります。
この「善悪を判断する基準」、言い換えれば善悪観のようなものは「何に価値をおくのか?」を決める「価値観」にも大きく影響します。
更には「態度や意思決定」「目標や目的」など、大げさに言えば人生そのものにも何らかの影響を与えているはずです。
古くから宗教、哲学、思想なども「善悪観」の形成は中心を担うものでした。やはりこれは人が生きていく上で、意識的にも無意識的にも働いてしまうものだからでしょう。
ほとんどの宗教や思想では「善」は「神であり天使」です。「悪」は「悪魔でありサタンまたは悪霊」ですよね。当たり前と言えば当たり前ですが(笑)
「もし信仰する自分たちの神が完璧な善であれば、他者が信じる神は悪魔だという事になるかもしれません」
歴史的にこの「自分たちの神が正しい」「自分たちの考えが絶対正しい」という考えで、あらゆる戦争や争いが生まれてきたのも事実でしょう。
これと同じように「私は正しい」と思えば思うほど、その考えとは違う対立する考えは「悪」にしてしまいます。
また、こういう人は「悪人だ」、こういう人は「善人だ」。このレッテルや先入観もまた同じように自分を生きにくくしているかもしれませんね?
暴力はもちろん「悪」でしょう。そしてその暴力をふるうような人達も、もちろん「悪」でしょう。
しかし、真っ黒な悪もあるでしょうが、「全て真っ黒な悪」そのものかと言うと、もしかしたら違う場合もあるかもしれません。
(もちろん暴力は否定するし、私も悪と思いますが)