言霊
呪術とは、もとはと言えばおまじないや呪文を用いる事が多いものです。また私などが目指す呪術師は、日本の本物の(笑)陰陽師と言われた「使えるものは何でも使う」的な発想を持っていた方々と同じものです。
仏教の真言や陀羅尼、お経、神道の祝詞なども、その意味を理解していれば教えともなりますが、理解していなくとも効果や効能などが望めるならば、呪文やまじないとも言えるのではないでしょうか?この意味で言えば、宗教的な思想はおいておき、有効な言霊は何だろう?と探して実行してみるのも一つの手だと思います。

真言
真言の有効性や紹介は色々なところで説明されていますので、興味があれば調べてみてください。
ここでは
1「実際にはどうなんだろう?」
2「どれが効くのか?」(もちろん全てありがたいお言葉です)
3「どんな使い方をするのか?」
ということを踏まえて説明します。あくまで私の主観と経験で語りますので、あしからず!

真言とは
仏教、特に密教では「真実をあらわす偽りなき言葉には、カルマを解いたり、願いを実現する、様々な福徳を得る力がある」と考えています。
では、偽りのない真実の言葉とはどんな言葉でしょう?それは「仏陀や菩薩が説いた聖なる言葉」と言われています。それを真言といいます。
この真言を唱えることで智慧を得る、諸々の罪障を滅する、願いを実現するなどを目的に、日本でも「昔から現在においても多くの人」が唱えています。
実は現在伝えられている真言はサンスクリット語の本来の発音とは異なっています。例えば『般若心経』は「ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼーじー そわか」と、日本のお坊さんは唱えますが、正確には「ガテー ガテー パーラーガテー パラサンガテー ボーディ スヴァーハー」。
ボーディスヴァーハーの最後で息を吐ききるように唱えます。

また、よく最高最強と言われる大日如来の真言の一つ光明真言は「おん あぼきゃ べいろしゃのうまかぼばら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」。これも正しくは「オーム アモーガ ヴァイローチャナ マハームドラー マニ パドマ ジヴァラ プラワルッタヤ フーム」という発音になります。

では、「おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼばら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」では効果はないのでしょうか?これも色々言われているのですが、多くの方(特に密教の方)の見解としては古来、日本に伝わってから光明真言の功徳が甚大であることの逸話も数多くあり、本来の発音で唱えることもないという捉え方が多いようです。

私も真言により使い分けてはいますが、ほとんどの真言は日本語なまりのサンスクリット語の方で唱えます。
これには私なりの理由があります。それは以前述べたシェルドレークの形態形成場や、ユングの集合的無意識などの考え方を取り入れて考えてみたからです。
一つの型が多くの人に認められ信じられると、それが一つの型となる(シェルドレーク)。
そしてその型は、一度形成されると形成される以前より力を増し、容易くその型の目的を現そうとする。更にその型は、以前より存在する集合的無意識(ユング)の型と共鳴し、いずれその一部に取り入れられるのでは?という考えからです。
そうは言っても、意識化する過程において民族や時代などの影響を受けながら現されるのでは?といったことも考慮すれば、自ずと「おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼばら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」でよいのかな?などと考えたからです。

ということで、一つ一つ詳しく語ってしまいたい欲求を抑え(笑)、まずは二つご紹介します。簡単に特徴と私なりの使い方も下記に示しておきますね。

そして使い方を間違えなければ真言は効きます!

光明真言
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
大日如来の真言でとてもパワーのある真言です。最高、最強の真言とも言われているものです。
あらゆる災いを防いでくれると言われる光明真言。私の考えとしては、長く唱える事で人生全体を底上げしてくれるような真言と考えて唱えています。

例えば何かの目的を果たそうとした時に、短期的に集中的にそれのみに全力で突き進むことは、どんなことでも早く効果が出てくるものです(以前述べた緊張集中による目的達成の技法など)。
これも一つの手だとは思います。しかし長期的に継続させたいものならば話は違ってきます。
この場合、長い年月、他の多くの事を犠牲にして目的を達成しようとしているので、必ずと言っていいほど心の奥では無理をしています。すると無意識はそれを察知して元に戻そうとする「心のホメオスタシス」を働かせてしまいます。(ダイエットのリバウンドや貯金を貯めようとすると思わぬ出費が出てくることを考えると解りやすいかも?)

要するに、ある時期からその他の犠牲にした事が足を引っ張ってその目的を阻止したり台無しにすることが出てきてしまいます。その事だけを取り出して、人は災いが生じたと語る時があります。
こういった事を阻止してくれ、バランスよく人生のコーディネートをしてくれるような真言ではないのか?と私は思っています。
https://www.youtube.com/watch?v=VobDUdsoVJQ
光明真言 【聞いているだけで運気が上昇するBGM】 全ての災難を取り除く最強の真言 大日如来

不動明王真言
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
これも有名すぎる真言です。密教では大日如来の変化したもの、五大明王の中心でもある不動明王。その不動明王の真言です。
色々な事に効果があると言われています。怨敵調伏、勝負必勝、立身出世、商売繁盛などに特に効果があるようです。
私の使い方としては、他から来る、今の自分にとって良くない想念を打ち消したり、霊を退けたりするには絶大な真言だと思って使います。

昔、かなりこの手の力を使いこなせる密教の阿闍梨の方が「他の菩薩や如来では決して取り去ることが出来ない凶悪な霊を取るには、この不動明王しかいない」と仰っていたことを思い出します。
私のお客さんの阿闍梨の方もまた「お不動さんはすごいよ」っていつも仰られてます。(何が凄いのか聞きませんが(笑))

とは言うものの、例えば、霊がいると言われている場所にわざわざ近づいて「私はこの不動明王真言を知っているから大丈夫」などの「あまーい」考えは命取りになりますよ(笑)。そんなわけないですよね(笑)。考えても解りますが、例えば最強の武器をあなたが持っているとします。拳銃でも、よく切れる日本刀でもよいのですが、それを襲ってくる相手に向けて放つとします。「あれっ、当たらない」って事になりますよね(笑)。常日頃から使い慣れているのなら、それは守ってくれる道具となるのでしょうが、そうでなければ「あれっ、当たらない」なんてこともでてきます。(道具に例えると怒られるかな?)
仮にそれが上手くいったとしましょう。しかし、チンピラのような霊(組に所属していない方達など)が襲ってきて不動明王真言を唱える→チンピラ霊は退散、「覚えてろよ」。しばらくすると「兄貴、あいつにやられました。後は頼みます」なんてことになりませんか?(物質ではないから複合霊体なんてものもあります)
そんな使い方はしない事です!(霊だけに限らず、生身の人間の憑依や生霊に対しても同じですよね)

では、どのように使うのか?まずは日頃から唱えるのです。唱えながら「不動明王が常に私を守ってくれているので、最悪の状況は必ず回避されるので安心だ」と思いながら、感謝の念と共に唱えるのです。
そのようにするのなら、危機の時がきても不動明王は契約があるので、その方を守ってくれるはずです。