やはり呪術やまじないとしてはこれらの事を書かないと。
霊符などを書き、お守りとして使う場合、本当に様々な作法や唱える言葉、念(御霊、霊)を入れ込む方法、書いてはいけない日や書くと効果のある日、道具の選別や紙の質にこだわったりなど、伝統的な事柄を含めると多分読むだけで「やめた!」なんて事になりやすく、「面倒だから人に頼むかな?」なんて事になりますね?しかしやはり自分で書くのが一番だと思います。いくら時間がかかっても、書けるようになり、効果が出るようになっていく事が大切だと思います。
ですからこれらの事は少し置いといて、視点を変えてこの霊符や護符の捉えかたを変えてみてもいいのかな?などと思います(この辺はホント様々な流派や考え方、作法などありますから、あくまで私個人の見解を書いていきますね)。
まず、若いころからこれらの様々な符に触れて思ったことは「何かの回路みたいだな?」
これが素直な意見です。(笑)
それから伝統的な方法はもちろんの事、霊的な事も含め、独自の方法で色々書いてみたものです。
書いただけではなく色々な材質で作成もしてみました。
私なりの結論としては、これらの護符は「迷信か?」「思い込みや暗示などか?」「はたして本当に効くのか?」と問われれば、ずばり「事柄によってはかなり効きます」。ただし意味をしっかり理解して形にすれば、です。
伝統や作法、道具なども本当に神仙や仏のお力を借りるには当たり前の礼儀であり、もちろん必要です。しかし意味も解らず、わけのわからぬままそれを行っても「何かあっても対処できないのでは?」と、本音で言えば思います。ですからあまり危険な方法は取らずにおきましょう。(護符を書いてる人でも危険とわかってない人もいると思いますよ(笑))
また、よく修行を積んだ特別な人しか書いてはいけないと言われることもありますが、その辺は私の経験では危険な方法を取らなければ大丈夫だと思います。もちろん真剣に、遊び半分でなければ、のお話ですが。
上手くいかなければただ効果がないだけです。間違えて書いてしまえば燃やして塩を振りかけて合掌して捨てれば大丈夫だと思います。まずは安心してください。
今までブログを読んできてくれた方なら繋がりが解ってきたことと思います。
つまり、コツは「意識を移動させながら」です。気に慣れてきた人なら解ってきたはずです。指先に水晶などを持ち封印させる代りに、筆を持ち、墨に移し、更には呪符として現すということです(今まで読んできた人、良かったでしょ(笑))。また、その前に手に棒を持ち(筆の反対側で構いませんよ)、実感してみましょう。棒で何か近くの物に触れてください。固いもの、柔らかいもの、鉄や木や布や色々試してみてください。手が棒に延長したように硬さや柔らかさが解るはずです。剣術を行う人なら納得してくれるでしょう。正直、剣の方は少しかじったぐらいで剣術の事は詳しくないのですが、剣術でも切っ先で手の延長として捉える術が流派によってはあるはずです。
脳は肉体の制約を受け、その拡張を未だに果たしてないのでは?などと思います。しかしこのように道具を用いる人間は、ある意味その事については棒が手の延長を行ったように拡張を起こす脳の機能もあるのかな?(単純に体性感覚野だけでなく)なんて空想しちゃいます(笑)。その拡張を起こす手立てに、意識の移動、つまり「気」が必要だということです。
更に言えばイメージ、言葉、態度、「三密の世界」を「護符をつくるという世界」にあてはめて行うということではないのか?と思ってます。