その後、古代朝鮮の三国の一つ、百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)が日本の第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)へ仏像や経典などの仏教を伝えたと言われています。
(しかし、これ以前に百済の人達が数多く日本へ来ていたのでその人達が既に仏教を伝えていたとも考える事ができます。)

この当時の歴史をもう少し詳しく言えば、この頃の日本の三大勢力には大伴氏(おおともし)と物部氏(もののべし)、蘇我氏(そがし)がいました。しかし、物部氏が「大伴のせいで新羅の恨みをかった」と大伴氏(おおともし)を糾弾し失脚させたので、その後は三大勢力から一つ減って蘇我氏と物部氏の二大勢力が政権を握るようになります。そしてこの二大勢力はより対立を深めていき、どちらもより権力を握ろうと必死になっていきます。

一方、仏教を日本に伝えた朝鮮半島には日本の拠点が一部の地域にありましたが、これは後に滅んでしまいます。同時に、日本と親しかった百済も、日本からの救援も虚しく弱体化していってしまいます。

そんな折、552年に百済は日本に仏像や経論などを献上して仏教を日本に伝えます。物部氏は大和を治めていた重要な神の末裔とされていて、天皇家とも血は濃く、神道を信仰するものなので当然「外国の神」である仏教は反対だったようです。それとは異なり、蘇我氏も天皇家と血は繋がってはいても分家の血筋であり、それほど物部氏より天皇家とは血筋が濃くはない。そんな背景もあり、日本の神ではない外国の神である仏教を取り入れ、力を拡大していきたかったのかもしれません。天皇は仏教が伝わると蘇我氏の仏教礼拝を許しましたが、偶然にもその翌年に多くの死人がでる疫病が広まりました。これを見た物部氏は「海外の神を拝んだためにおきたんだ。蘇我氏のせいだ」と非難し、仏教廃止を天皇に懇願します。そして天皇はこれを承諾し、仏教寺院や仏像が燃やされ捨てられてしまいました。

この頃、日本の仏教の基礎を築いたと言われる聖徳太子は11歳でした。聖徳太子のお祖父さんは先に述べた欽明天皇、お父さんは天皇で初めて仏教に帰依した用明天皇です。聖徳太子は7歳のときから既に百済から伝わったお経を読み、仏教を学んでいたと言われています。この後の587年に父親の用明天皇が病死し、後継者争いが元で蘇我氏と物部氏との戦が起こると、聖徳太子は蘇我馬子と共に物部氏を滅ぼします。

聖徳太子が作ったとされる、17条からなる法文(法律を箇条書きに示したもの)である十七条の憲法には仏教の思想も取り入れられていて、なかなか良い事を言ってますよね。

こちらのサイトは解りやすいのでリンクを貼っておきます。
http://home.c07.itscom.net/sampei/17ken/17ken.html

更に解りやすく簡単に書いてあるのでこちらから引用させていただきます。
http://www.shoto9taishi.com/government/constitution.html
聖徳太子謎紀行

第一条
・人と争わずに和を大切にしなさい

第二条
・三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい(三宝:釈迦、その教え、僧)

第三条
・天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい

第四条
・役人達はつねに礼儀ただしくありなさい

第五条
・道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい

第六条
・悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい

第七条
・仕事はその役目に合った人にさせなさい

第八条
・役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい

第九条
・お互いを疑うことなく信じ合いなさい

第十条
・他人と意見が異なっても腹を立てないようにしなさい

第十一条
・優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい

第十二条
・役人は勝手に民衆から税をとってはいけない

第十三条
・役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい

第十四条
・役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない

第十五条
・国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない

第十六条
・民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい

第十七条
・大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい

このような事は、法文と言っても実は当時の天皇に使える役人たち思想のようなものです。

この思想は役人たちに向けて守るべきルールとしたものですが、この天皇に使える役人たちを12段に格付けしたものが冠位十二階の制定ですね。冠位十二階の制定を行う事で今までの「血筋だけが行う政治」から「能力のあるものが行う政治」へ変えようとしたのでしょう。たとえ低い身分のものでも功績によっては昇進することができるようになったのはこの冠位十二階の制定からと言われています。

先程、「仏教の思想も取り入れられていて」と言いましたが、冠位十二階の大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という12の冠位など、大とか小とかの字を除けば「徳・仁・礼・信・義・智」となりますよね。 人が持つべき5つの徳「仁・義・礼・智・信」から来ています。
人間が持つべき5つの徳と説いたのは中国の儒教ですね。最初の(徳)は仏教の徳をあらわすとも言われています。一番が「徳」(仏教を極めた人)で、二番が「仁」(思いやりのある人)、三番が「礼」(礼儀正しく規則をきちんと守れる人)、五番が「信」(信頼できる人)、六番が「義」(約束を守る人)、七番が「智」(賢い人)の順番になりますね。この辺を見ると中国の儒教の仁・義・礼・智・信の順番とは異なり、独自の順位を制定したのではと思われます。