ユングの言う「集合的無意識」という概念が理解しやすいと思ったので集合的無意識と書いていますが、「個人の無意識を越えた、他者との繋がりのある無意識の世界」という意味で書いていると理解してください。
この「個人の枠を超えた無意識が存在するのでは?」という捉え方は「不思議な世界」を探究する者には必然的なものです。これが無いとほとんど「意味を成さないもの」になってしまいますので。
故にユングが提唱した集合的無意識の概念は、これらを探究する者にとってはとてもありがたく嬉しいお話でした。それはさておき、この「繋がりのある世界」とアクセスするってどういうことでしょうね?例えばユングの言うシャドー(影)の部分とアクセスしてしまった。言い換えれば、自分の持っている特徴(パターン)とこのシャドーの中に存在するであろう特徴(パターン)が「カチッ」とチャンネルが合ってしまった。それは表の部分(光)が「いらないもの」「不必要なもの」として捨ててきた裏の部分、抑圧された影とチャンネルが合ってしまったということですね。これは厄介なことです。
多くの人がいらないと捨てて来たものですから、ほとんどの「一般的に言う悪の心」や「犯罪につながる心」はここにあるわけです。もし、ここにアクセスし、チャンネルが合えば、「意識」の力など、脆く弱い存在ですから大変です。自分では「止めたくとも止められない」「他者が自分の中に存在していてやらされているような感じ」とか、「自分の頭では悪い事だと解っていても止められない」とか、そんな事も出てきてしまうと思います。
世間では「精神疾患」と言われたり「悪霊が憑いてる」とも言われるでしょうね。これも無意識を探究する際に「危険」だと言った事の一つです。