ただし、その為に「辛い」のは当たり前、「苦しい」のは当たり前。

「叶えやすいこと」も「叶えにくい」こともあるので時間も根気も必要かもしれないと覚悟が必要。
逆にその過程で「辛い」ことや「苦しい」ことより「楽しい事」「嬉しい事」のほうが多いかもしれない。

「もしかしたら一生叶えられない」かもしれない。そんなこともあるという覚悟が必要。
逆に「叶えられない」と諦めても、他の道が与えられるかもしれない。その方が結果「幸せを感じれた」という事もあるかもしれない。

「手に入れても幸せを感じないかもしれない、また何れ感じれなくなるかもしれない」と覚悟が必要。
逆に一生「幸せ」を感じて生きていけるものもあるかもしれない。

自分が「思いどおりに生きていこう」と決意して、小さなことでも自分の力で夢を実現したことがあれば理解してもらえるはずです。(笑)

皆どこかで、私が言わなくとも、こんな事解っているはずです。しかし、人はそれを忘れてしまう事が多くあります。その時に苦しむのではないでしょうか?
結局、やってみないと何も解らない。(笑)

昔、読んだ夢枕獏さんの小説「陰陽師」にこんな一節がありました。
(ところどころ少し違うかも?違ってたらすみません(笑))

晴明 「この世で一番短い呪とは、名だ」
源博雅 「名か?」
晴明「そうだ」
源博雅「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か」
晴明「そうだ。海とか、山とか、樹とか、草とか、虫とか、そういう名も呪のひとつだ」
源博雅 「うーん、わからぬ」
晴明 「呪とはな、ようするに、ものを縛ることだ」

「呪とは、ものを縛る」・・上手いこと言うなって感心して読んだ記憶があります。

例えば職業の「呪」

「医者」は病を治すのが当たり前と、自他ともにどこかで思ってしまう。
「警察官」は法を犯すものを取り締まるのが当たり前。
「弁護士」は依頼人を助けるのが当たり前。
そのような縛りができる。

「名前」(レッテル)を持つものも、呼ぶものも、そこに縛りをつくる。

「母親」は子供を愛し、育てるのが当たり前。
「父親」は家族を養うのが当たり前。
そこに縛りをつくる。

要するに、「何かである」という事は「何かをしないといけない」と思いこんだり、思いこまされたりしているという事ですね。

「何かになる」「何かを得る」という事は、同時にその「何かに縛られる」事にもなる。何故なら縛りが無ければ、その呼び名の存在価値が無くなってしまうからですね。
なんとなく「幸せ」と「呪」が見えてきませんか?(笑)