さて、このような「ふるい」は、まだまだ私の中だけでもかなり存在します。
今回は「霊」「憑依」を題材に、なるべく解りやすいものを幾つか挙げてみましたが、いかがでしたか?
私などは色々疑ってみたうえで「信じる」タイプなんで、このような「ふるい」が常に幾つもあり、それらで片付くなら「それでよし」、解らなければ「ワクワクして信じてみます」。それが「誰に否定されても信じれる信念」になるからです。(笑)
しかし私とは反対に、不思議な事を「そのまま素直に信じて素直に感じる事」も素敵な感性だと、同時に思います。
人それぞれなので、自分が「それでよい」と思えば「それでよい」事ですよね?
実際、何百万円も出して何百円の壺を宝のように大切にしている老人がいるとします。
その老人が私にむかって「見てみろ。良い壺だろ。とてもありがたい壺なんじゃよ。これは凄い力を持った壺で、私はこの壺のお蔭で幸せになれたんじゃ」と言われたら「おーっ、凄いですね。凄いパワーだ」と答えるでしょうね。
もちろん売りつける方にだけは回りたくないですが、私はこの時、嘘つきになるでしょうね(笑)。私が嘘つきでも、それはそれでよいことでしょう。
このご老人がそれで幸せなら、壊す方が罪というものです。私は喜んで嘘つきになります。そう思いませんか?(笑)
多分、この先何十年、何百年経っても、きっと不思議な事は無くならないと思います。
何故なら、合理的なものの対極には不合理なもの、「因果関係のあるもの」の対極には「偶然なもの」が存在し、対極にあるものが自分とは異なる性質のものを存在させていると思うからです。
これからも時間を見つけてちょこちょこ書いていきますので、気長にお付き合いください。(笑)