犬神が憑くという現象だけにとどまらず、日本だけでも古くから色々な「憑依」という現象はおきています。そしてこの現象に色々な人達が関わってきたと思います。一般的ではない事に思えますが、ほとんどの宗教がこの「憑依」や「憑き物」なくては存在しないのでは?と思えるぐらいです。(笑)

憑依には、自覚症状があるが別段「本人が思うだけ」で外から見てもあまり解らないタイプと、憑いている時にはあまり自覚症状はないが「憑き物」が落ちた時などは何かしら思い出すようなことがあるタイプの二つがあります。

自覚症状のあるタイプは「憑依妄想」と言われるタイプで、現在の精神医学では統合失調症の症状として扱われます。自分は「○○○に支配されている」、自分の行動も「○○○に決められてしまう」などと思ったりしてしまいます。

もう一つの方は明らかに「他人から見ておかしい」ものです。犬神つきなどがこのタイプで、映画の「エクソシスト」や「悪魔つき」「狐付き」などのイメージをすると解りやすいですよね。

あえて精神医学や心理学での分類や見方はここでは少しおいておきます。
重なるところもあれば、まだまだ(笑)首をかしげる部分もある考え方かもしれませんが、私なりの考えで「憑依」を考えてみます。

ヒントとして一つだけ解りやすい一つのタイプ(初級編)(笑)の「憑依」の例を考察してみますね。

憑き物を落とす霊能者などテレビでもやってたりしますよね?何だか眠くなる呪文を何度も唱えます。意味が理解できないものを単調なリズムで何度も何度も唱えられれば、誰でも眠くなりますよね?眠くなるという事は、脳波がゆっくりになってきている証拠ですよね?(単調な音、単調なリズムはトランスに入りやすくなります)

この時の脳波は人それぞれでしょうね(もちろんそれぞれの脳の領域で脳波は違いますが)。しかし脳波は当然どんどんゆっくりになってきます。γ波(強い緊張)、β波(意識がしっかり起きている)、α波(リラックス)、θ波(更に深くリラックスかまどろみ)、δ波(眠っている)と、脳波がゆっくりになるにつれて変性意識状態(トランス状態)に入りやすくなります。

この意識の状態では「何でもアリ」の世界です。霊的な世界のお話もここにあります。
しかし洗脳の世界もここにはあります。神秘的な力も奇跡もここにはあります。
しかし、精神異常と言われる世界もここにはあります。薬物で行く世界もここにはあります。

本物と言われる不思議世界の方々は、この状態で見たり聞いたり感じたりしているはずです。

諸刃の剣の世界ですね(笑)(むやみに入るのはどうかな?と思います。地図が必要で準備も必要(笑))

要するに、普段の日常的な意識ではない状態なんですね。

このトランス状態を作り出すのには、脳波がゆっくりか逆にかなりのハイテンションのどちらかになるはずです(タイプにより違います)。更にその場所や空間の醸し出す「非日常的な雰囲気」や「非日常的な雰囲気の人々」も、トランスに入るにはもってこいのオブジェクトになるはずです。

このトランスは意識と無意識の狭間で、暗示もかかりやすく洗脳もしやすい状態です。
通常意識が働けば、意識が防御するので暗示も催眠もかけれません。

単純にぼんやりした状況を作るだけではないのですが、そこにその世界や物語に必要な「ものや条件」が揃っているならば変性意識状態に入れることは容易いはずです。

そこで霊能者は言います。「おー、お前には猫の霊がとり付いているぞ」「こやつがお前の邪魔をしておったのか?」。暗示をかけられたとしても、意識が防御に向かえばそんな暗示はかけれません。
しかし、この人達の意識は防御するはずがないんです。
何故ならこの人達は「霊」が不幸の原因であったほうが自分にとって都合がよいからですね。

「自分が悪いのではないからです」(笑)
そして「取り払います」。その前に身体などを思いっきり動かしたり、奇声を発しさせたり、「ののしらせたり」「暴言を吐かせたり」感情の浄化をさせたりすれば、より効果的ですね。その後「えいっ」「大丈夫、これで猫の霊を取れました」。
クライアントは「身体も心もすごく楽になり、悪いことも無くなります」。

誤解を受けるといけないのではっきり言っておきます。これが霊の世界ではなく催眠の技法に属するものでも、私はこの技法を否定しません。むしろ感心します。

霊能の視点で見れば確かに「猫の霊」が存在している方もみえるでしょう。
そしてクライアントが良くなった。「何か悪いのでしょうか?」とも思います。
多かれ少なかれ、これらの一連の流れはあらゆるところで用いられているはずです。
めでたし、めでたし。・・・・・・と終われば問題ないのです。
しかし、またその後「他の霊をつけてきます」。
こちらもあまり私的には現在では問題はないと思います。
また取れば良いし、その場所がその方にとって厳しい現実を生きる上で必要な場所かもしれないからです。

昔はこのような事が許せない時期がありました。
しかし「その方達に必要な事もあるんだな」と、年を重ねるたびに思いに変化が生じてきました。

では、「私が問題だと思うのはどこか」?

問題はこれらの技法を用いる方達です。
良心的な方もいるし、本気で人に貢献しようとされている方達もいるでしょう。
しかし、こういったことを悪用して高価なブレスレット、高価な仏壇、様々な高価な物を購入させたり、お祓いで何十万、何百万なくては「憑依が解けない」ようにもっていく人々がいるのが問題じゃないかな?と思います。

更に、選択できる自由な意志を育てずに、カリスマ性を強めてがんじがらめにしていくことが問題かな?と思います。

私はもちろんしませんが、これらの技法を使うのに別に金額の高い低いを言っていることでもありません。
「自由な選択をさせないようにもっていくこと」が問題だと思うのです。

しかし、これは別にこの技法を使う方達だけの事ではないと気づきませんか?
いたるところで自由な選択を出来ないように操作している方々が、あらゆる職種であらゆるところにいると思います。

この流れが解れば「憑依」の妄想や「憑依」の現象も糸口が解ってくるかもしれませんよね?
まだまだ初級編ですが(笑)
まっ、あくまで数限りのない「憑依」にまつわる一つの例え話であり、私の戯言ですね(笑)

seimei

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