数字 3

あらゆる神秘的な事を解き明かすうえでとても重要な数字です。

このブログでは何度も何度もいいますが、「相反するものを統合すること」です。

これはこれから先、私達が生きる未来においてもとても「重要なキーワード」になります。この思考法をいつも忘れず覚えていてください。これからの未来「いいか?悪いか?」別問題としてもう計画は確実に進んでいます。人とAIの融合、人と機械との融合、現実と仮想現実の融合、そして意識と無意識の融合。もし、私たちの意識がこの先仮想現実の中で意識だけを移行できる世界で生きるなら、この意識は果たして肉体を持って日常を生きている今の意識と同じなんでしょうか?なんて疑問が当然湧いてきます。三の秘密を学ぶ事でこれからを生き抜くうえでもとても必要な学習となるはずです!

第三の視点を持つことにより、相反するものを統合する数字。
相反するものを統合した新たなるもの、創造性、三位一体(根源的構成単位)、三尊仏、父母子の三者関係、三角形、火、現在・過去・未来、右・中・左、前・中・後、理解、理性、男性原理を表す。

三点を結び、面を成す。原初の精神性を表し、その原因を示す。

前にこのブログで「而二不二」のお話を簡単に書きました。
10円玉には「平等院鳳凰堂の絵」と「10」の数字という「表」と「裏」がある。表と裏がそろって初めて一枚の10円玉になる、という考え方を「而二不二」と言います。つまり、10円玉には表と裏という二つの面があり、その両方の面があるからこそ10円玉として存在しているということです。
10円硬貨の側面の「表の面」と「裏の面」と別々に捉え、「裏だ、表だ」を越えた「コインの側面」という視点に立ち返れば、結局1枚の10円玉ということですね。では何故、数字の3のところにこのお話を書いたのか。普通考えれば、裏表別々に捉える「数字の2」の説明に載せればよいし、いや、裏表は結局一枚の10円玉なんだから、と、「数字の1」の説明に載せてもよいと思う人もいるはずです。

10円玉のコインのお話を他のお話で考えてみましょう。
例えば10円玉なら意志は存在しませんよね。ですから表の面が「俺は表なんだから裏のお前より大変なんだ」とは言いません。逆に裏が「表だ表だって威張ってても結局たいしたことないよね」とも言いません。ですがこのお話を「男性と女性の別々な側面だが、結局は『人』と‎いう一つの存在である。そこに男も女もない」というお話にすると、途端に「男の立場」や「女の言い分」などが出てきて、なかなか男女を越えるのが大変になってくるのも事実ではないのか?と、と言う事です。

故にそれを越えて可能にしてくれるのが「3」という数字であり、視点だと思うのですが。
男はとりあえず男性であり、女性ではありません(肉体的に子供は産めない)。女もとりあえず女性であり、男性ではありません(肉体的に子供を産める)。その違いを知ったうえで、男なら自分の中に潜む「女性原理」を受け入れる(精神性としてアニマの統合)。女性も自分の中にある「男性原理」を引き入れる(精神性としてアニムスの統合)。

その段階を、ステップを踏んで行くことで初めて男女を越えた「同じ人である」という第三の高い視点で見つめることができるのではないのか?と思います。「二つのものは実は一つ」とは、10円玉で捉えれば「裏の面」「表の面」の二つの面のお話で、抽象度が一段高い視点で見れば「どちらも10円玉」という事ですよね?
人のお話の場合も、「男性」と「女性」という性別では、「人」という抽象度が一段高い視点に立てば、どちらも「人」という事になりますよね?

この考えが正しいと仮定するならば、「領域」で捉えるとしっくりくるのではないか?と私は思います。この場合は男であれ、女であれ、「人として考える領域」「男性性として考える領域」「女性性として考える領域」、三つの領域があり、どの領域で捉えているのか?とすれば、やはり「3」の数字が浮かび上がってきます。言い換えれば、「人としての面」「男としての面」「女としての面」と考えるという事です。面を成すには最低「3」点が必要ですよね?

善悪不二(善も悪も別のものではなく、仏の立場からすれば別のものではないという、仏教の根本原理。)

善悪不二について知りたい方は、少しは参考になるかもしれいので読み返して下さい。
ちょっとした事件

浄穢不二(じょうえふに)(清浄な悟りと不浄な煩悩とは対立するものと思われるが、真如の上では差別がなく同一であること。)などの理解にも役立ちます。

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