例えばシャドーと「チャンネルが合ってしまう」人の例でお話ししましょう。
このシャドーと「チャンネルが合ってしまう」というのは、言い換えれば、個人的にも「闇の集合的無意識の部分」と合致するパターンが幾つもあるという事です。
この中には、気づいている人もいれば、気づいていない人もいるでしょう。また、この「闇の部分」があると、自分では「なんとなく」気づいてはいても、自分の部分とは認められずに他者に転換したり、封じ込めてしまったり、放置しておいたりする人達もいるでしょう。そうすることで反って「闇の衝動」も強くなったりしてしまいます。
すると、この認められない「闇の衝動」は行き場が無いので行先を求めます。「闇の衝動」は「現実の世界で現したくとも現せない、現されない、認めてもらえない」。故に、行く場所のないこの「闇の衝動」が行き着く先が、シャドーの世界の中の「闇の集合的無意識」って感じで捉えると理解しやすいでしょう。
これが「ガチッ」と合ってしまった方のイメージの一つです。
この「衝動」、元々この人のものなのですが、「闇の集合的無意識」に結びついてしまった「衝動」は、以前より大きく強くなる。今までは封じ込めが出来ていても、この時点ではもう意識では止められなくなってしまいます。
「では、この衝動を現せばいいのか?」ってお話ですが、これは当然「犯罪」的なものなら現せませんよね?って言うか、現しては表の人間社会では生活できません。
少し前に流行った映画の「ジョーカー」では、このようなことがよく現されているなぁと感心しました。
「主人公」だけではなく、この物語の町の若者たちを中心にした人々が、主人公同様、貧富の差や、やり場のない怒りや憤りが何かしらあり、皆その感情や思いを抑えて生きていた。だが「ジョーカー」が現われた事で、その感情や思いが一気に噴出する。そして彼をヒーローに祭りあげた。
現実の社会では、「衝動」は他の犯罪ではない「有益なもの」に変更して解消するしか手立てがないかもしれない。このような感情や思いを一人で解決するにはとても苦難を伴うと思いますが、これは自分でいろいろ試して「これは自分の衝動も現せ、且つ社会にも有益だ」と思われるものを根気よく探し、習慣にするしかありません。生まれついてこの世界とチャンネルが合いやすいと思われるサイコパスの方や、後天的なソシオパスの方の場合でも同じではないかと思います。
ここで大切なのは、個人の持っている特徴と言うか「パターン」が、もっと深い集合的無意識の「パターン」と同調したという事ですね。
ここでは「潜在意識を使いこなすこと」も目的なので、このような視点でも考察をしてみました。
このような考察で見えてくるのは、よく「成功する為の方法」や「お金持ちになる方法」などで言われることがある、「成功した人を真似る」という方法の有効性も、まんざら間違いではないと考えることができてきます。
あくまで「この視点」を用いて捉えれば、「真似ることで集合的無意識とシンクロする可能性もある」というだけのことなので、「人を真似る」ことを推奨しているのではないので勘違いしないで下さい。
「真似る」は元々は「学ぶ」の語源ではないかという説もあり、「成功した人を真似る」事でそのパターンを個人が習慣化し、個人の無意識で形成する。すると集合的無意識の「過去の成功した人達のパターン」と同調するかもしれない?ということにもなります。
この「真似る」方法も、比較的簡単に集合的無意識に繋がる可能性があるものの一つだと思います。