「このゲーム機」をありありとイメージしたA君、「このゲーム機で遊んでる自分」をありありとイメージしたB君。
ここでゲーム機自体をイメージした方法が間違っているという事ではありません。「自己イメージを実現する世界(個人的無意識)」のお話ではなく、これが叶うのは「繋がっている世界(集合的無意識)」のお話だという事です。ここが働けば、もちろん「ゲーム機を」ありありとイメージしたA君の目の前にゲーム機が現われるでしょう。現れるという事は手に入っている可能性が高いので、A君はゲーム機を手に入れているかもしれません。要するに、ゲーム機をイメージしてゲーム機が手に入ったってことですね。お父さんが誕生日のプレゼントに買ってくれるかもしれない。それがお父さんではなく、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんかもしれない。懸賞で当たるかもしれないし、もうゲームしなくなったからと知り合いの人がくれるかもしれません。これが「繋がっている無意識(集合的無意識)」で起こるお話です。たまたま、偶然、シンクロニシティ―、引き寄せ。どう呼んでも、これは「思う→叶う」の世界ですね。

この手の事を語る人達は、ほとんど「この繋がっている世界のお話」を舞台にして「引き寄せのお話」とか「願望は実現するお話」を語られます。
間違っているわけではなく、私も勿論この集合的無意識の繋がっている世界がとても大切だと思っています。
しかし、前にも書きましたが、そんなに簡単に「思う→叶う」が起きてしまえば、良い事ならいいんですが、「悪い事や、嫌なこと」が常に叶ったらどうしますか?だから、そんなに頻繁にこれが起きないようなシステムになっていると考えたほうが賢明ではないでしょうか?
それと「個人の無意識」と「何らかのまとまりで共通する集合的無意識の世界」を一度分けて考えたほうが、潜在意識の事も何となく理解できてきて、使いやすくなるのでは?と思います。