「本来、持っている特質や性質は相反するもので、対立しているように思えるが、〇〇すれば二つのものは統合したり調和する」、こんな考方があります。
また「〇〇から見れば二つのものは一緒であるとも言える」、こんな考え方もあります。
ここで言う「統合する」という考え方は、二項対立の考えや論理的思考法とかは擱いておいても、少しでも「気づく力」さえ養えれば良いのではと思い、書いています。
「当たり前のことに気づく視点」と「それを他のものに適応させる力」、こういった事が意外に「自分の人生に役立つ一つの方法になるのかな?」とも思っています。
例えば「火と水は対立し、打ち消し合い、互いに助け合う事はない」、この視点でしか考えられなければ、人類はもしかしたら「お湯も沸かせなかった」かもしれないですよね?
火に直接水をかけるんで、消えたり、逆に火が強ければ水が蒸発したり・・。でも、そこに燃えない(燃える紙でもアリ)状態のものが仲立ちになれば、湯を沸かして美味しいお茶でも紅茶でもコーヒーでも、温かいものや熱いものも飲めます。小さな子供さんでも解る、当たり前のことですよね?それを、「いやいや、それは二項対立の考えではない。水の状態が変わっただけだ」と捉えれば、ただそれだけで終わります(笑)。「そうか、温かい飲み物はある意味『熱』と『液体』の統合か?それにはその狭間に何かいるのかも?」などと考える事のほうが面白いのではと思います。
こんな具合に考えれれば、対立すると思えるものも、視点を変えれば「統合している」と捉える事も出来てきます。
世の中には当たり前のように、こんな風に「統合しているものとして捉えれる事」が数限りなく在り、それらを見つけたり、「自分なりに統合して捉えること」ができれば、少なくとも「どちらを取れば良いんだろう?」という世界からは解放されるのでは、とも思います。
例えば「善」と「悪」、対立する二つの概念。どちらが「良くて」どちらが「悪い」のかは、その時の時代や立場、国や文化などと共に、「どの視点で捉えたか?」などにより、常に変動する事でしょう。戦争で多くの敵対する相手を倒せば、自分の側の人達にはヒーローでしょうし、相手側や戦争に参加してない人たちにとっては「ただの人殺し」かもしれません。しかし、どちらが善でどちらが悪かはいくら論じても解らない事でも、「誰が犠牲になり、誰が利益を得たか」の事実は存在します。
有名人やマスコミが「悪だ」とレッテルを貼れば、今日では「そうだ、そうだ、悪だ」とネットで広まったりSNSで拡散したり、逆に「それはお前の方が悪だ。ある意味、そいつは善だ」と拡散するかもしれません。が、「多くの人に広まりやすい」ということでは、「善」でも「悪」でも「広まりやすい」視点に立てば同じですよね?
つづく・・・