残留思念という言葉があります。スピリチュアルやオカルトなど超常現象を説明するときによく用いられる言葉ですね。
人が強く何かを思ったときや強い感情を抱いた時など、その場所や物などに残る思いや思考や感情などという意味で使われています。
多くの場合、死んだ人などの「強い思い」などで説明されていますよね。
しかし、もしこのような思考や感情が残るのなら、生きている方達の思念の方が、ある意味常に思いも継続しているので強いとも思いますが、いかがでしょうかね(笑)
はたしてこういった考えに何らかの信憑性があるのでしょうか?
科学的には至る所で使われる量子力学で言うところの粒子と波動の二重性を示す実験。
二重スリット実験 https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ
(シークレット的な引き寄せ理論でも思考の現実化でもよく用いられますよね)
や、重力波やタキオンhttps://www.youtube.com/watch?v=90SMoTdHXUI
など、まだまだ想像の域を出ないものだとも思います。
では、全く信憑性がないのか?と言えば、科学的には説明できずとも、世界中でサイコメトリーと言われる力を使われる方達があらゆるところで色々と貢献されているのも事実です。
よく言われる事件の捜査や、あまり知られていないものなどでは考古学の発見など、少し調べれば信頼に至る捜査官や科学者、研究者なども協力を求めての共同作業をされた事例は到る所でみつかりますよね?
故にこのような方々がいる限り、また認める人がいる限りは、あながち残留思念という言葉もあると考えるのが妥当だと思えますが、いかがなものでしょうか?(もちろん反論もどこからでもできますが)
そして「幽霊」というものはこの残留思念ではないのか?というのが次の「ふるいわけ」ですね。(笑)
例えばある場所に行くと必ず頭痛や吐き気、胃が痛くなるなど、なにかしらの肉体的な影響を受ける場合があります。こんな時にスピリチュアルとして捉えるならば、その場に残っている何らかの強い思念や感情が影響を与えたということになるでしょう。そしてよく「霊」とも言われます。
では霊能力が強い人やサイコメトリーの能力がある人だけが感じるものかと言われると、そうではないと私は思います。
こういった特殊な例を考えるので残留思念なども理解しにくくなりますが、もう少し身近な例で感覚を磨いていきましょう(磨きたい方は(笑))。
例えば私ならこう捉えます。飲食店などに出向き椅子に座ります。その椅子には先ほど人がいたのかどうなのか、何となく解る時がありませんか?
そう、椅子に座っていたので暖かさが残っているかもしれません。残っていなくとも何故か解ってしまうかもしれません。
では熱い食べ物を置いておき、ある程度の時間が経過した後にそれを取り除きます。
あなたは置いてあったことを知らなくても、何となくそこに何か置いてあったのかな?なんて解る時がありませんか?これも同じ、温度の変化があったかも知れないし、そんなことでは温度の変化がないかもしれない。しかし、なんとなく解る。
「いや、それは違うでしょ?温度が残ってたんじゃない?」そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれませんよね(笑)
人が住んでない家などは暖かさを感じませんよね?あれも人が住んでいる温度変化?なんでしょうか?「いや、あれは雰囲気で解るんでしょ?なんとなく・・」
そうなんですよね。その「雰囲気」が、まずはこのような感覚を理解するには必要だと思います。
感覚器官で一番騙されないのは「触覚」ではと思います。それはシンプルに捉えることができるからです。物を触ってみて「温かい」「冷たい」などや「すべすべする」「ざらざらする」などももちろん「触覚」でしょうが、そこに「有る」「無い」ももちろん知れます。
当たり前かもしれませんがこの触覚の「有る」「無い」は、なかなかごまかしがききません。
今、絵を描く技術も一昔前と比べ凄い進化していて、すごい技術を持っていらっしゃる方が多くみえます。
ホログラムなんてのもそうですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=zp7SLdhBQ6I
実際は無いのですが、いかにも「有る」ように見えてしまう。しかしそこには「無い」ですよね。
これらは触覚を使い手で触ろうとすれば、すぐに「無い」ことがばれます。
ただしこれすらグーロブを用いれば話は違いますが、https://www.gizmodo.jp/2017/11/haptx-gloves-vr.html
しかし、これはグローブが作り出した触覚ですよね。
話を戻せば、何らかの情報がそこに存在すれば脳はその情報を「つなげて構成」してしまうのではないかと思います。
その情報が「残留思念」ではと思います。
例えば有能だと思える霊能者100人を集めて、霊がついていると言われる方を霊視したとします。果たして100人が100人とも同じ霊が憑いていると言われるでしょうか?
かなり昔にこんな実験をテレビで見たことがありますが、やはり皆バラバラでした。
しかし、「憑いてる」「憑いてない」、要するに「いる」「いない」、要するに「有る」「無い」は、皆かなり共通していたのを覚えています。
このようなことから考えれば、やはり情報を読み取ったり、繋げ合わせたりする際に色々な誤作動を起こすにしても、やはり何らかの「エネルギーや情報」が存在して、それが「霊」としての認知をさせることもあるのではと思います。(あのコップの絵や卵の絵のように)
今回は残留思念による「霊」の考察でした。(笑)