「トランス状態」「暗示」「自分にとって都合がよい」これらがキーワードになりますね。更に必要なのが「ストレス」や「フラストレーション」といった「抑圧」です。
生理的な抑圧や心理的な抑圧はヒステリーなどを生み出しやすいと思います。

そして必要な要素が「性格傾向」や「何かへの執着や固着」ではないか?と思います。「完璧主義的な時」や「目的意識が異常に強い時」なども「憑依」が生み出されやすいのではと思います。

「ところで統合失調症などの病ではない場合、なぜ憑依という現象がおこるんでしょうか。何かに洗脳された状態で思い込まされているのでしょうか。それとも何かの霊がついているのでしょうか?初歩的な質問ですみません。」と言うコメントをいただきました。ありがとうございます。

真実は誰も解りません。どこの視点から覗き、どういった立場で実行するか?が正解と思いますが、ご質問はこの流れの考え方や視点でよいと思いますので、このままの視点と流れでお答えしますね。

暗示といっても他者から与えられるものばかりではないですよね。自分自身で暗示をかけてしまうこともよくあります。自分で自分に変な暗示をかけてしまうこともよくあります。先程の霊能者を訪ねた人は、そこを訪れる前から何かしら自分でも「憑依されているのでは?」と思っていたのではないのでしょうか?でなければ普通は行きませんよね?そこに行く前に、何かしら下地みたいなものが出来上がっていると思います。

例えば、たまたま週末で体調が崩れやすい金曜日などに集中力が落ちてきて失敗したとします。すると先輩からひどい剣幕で怒られてしまった。
この人は、ただ集中力が落ちてきて失敗しただけです。しかしここで「週末は集中力が落ちてくるので気をつけないと」と思えば良いだけですよね?そして気を付ける。ただその繰り返し。

しかし、中には「昔も金曜日に嫌な事があったな?」なんて思い出す人もいるかもしれません。
すると不思議な事に「金曜日は嫌な事があるかも?」なんて思いこんだりしてしまうのも人間です。
特に不吉と言われる「13日の金曜日」などは気をつけようとするでしょうね。
気をつけようとすればするほど気にかかります。そして不安があればちぐはぐな事をしてしまうのもまた人間です。
そして「たまたま、また嫌な事があった」。すると「私は金曜日は嫌な事がある曜日だ」と暗示かけてしまいます。
こんなことをふっと仲の良い友達に話したとします。友達は「そんなこと誰でもあるよ。私もよくあるから気にしない方がいいって。それとも〇〇は13日の金曜日に不吉な事があるから悪魔に憑かれているとでも言いたいの?」って言われたとします。

友達は「気にしないでね」と言ったのですが、〇〇さんは「悪魔に憑かれている」という言葉だけが頭に残って離れません。この時点ではまだ暗示と言う暗示はかかってないのでしょうが、それから金曜日になると暗い顔をして登校します。出社かもしれません。
暗い顔をして登校していると、以前心配してくれた子の友達の、霊感が強いと言われる子が寄ってきます。〇〇さんの暗い顔を見逃すはずはなく「何か困ったことあるんでしょう?どうしたの?」。あまり親しくないので言う気にもなれないでいると、「最近嫌な事がおきてるでしょ?大丈夫?」。誰でも生きていれば嫌な事はありますよね。(笑)
しかし、この日は金曜日。「また変な事を言われてしまった」
ここでもしこの霊感少女に「あなたの背後に霊が見えるわ」なんて言われた日には、きっとこの時点で暗示にかかってしまうかもしれませんよね?

この日を境に「金曜日」の代わりに「私は何かに憑依されているかも?」と自分で暗示をかけるかもしれません。

たまたま気になっていた。そこを霊感が強いと言われる人に指摘された。こんな事だけでも「暗示をかけてしまう」ことはあるでしょう。

こんな例は山ほどあります。

もしこの人が「小さな頃に溺れた体験があり」、水を怖がっていたとしましょう。
霊感があると言う人
「あなたには水死した人の霊が見えます」・・・・・自分でかけちゃいます。

もしこの人が「小さな頃に交通事故にあった体験があり」、自動車事故などを人一倍怖がっていたとしましょう。
霊感があると言う人
「あなたには交通事故で亡くなった人の霊が見えます」・・・・・自分でかけちゃいます。

別に霊感があると言う人だけではなく、占い師かもしれません。インターネットや雑誌、テレビで見つけた番組かもしれません。

人それぞれ「自分のワールド」があります。みんな同じ「ワールド」ではないんです(笑)。
その「自分の物語」を紡いで生きていきます。そこには何かしら自分の意味を見出そうと、無意識に物語を構成して生きてしまうのではないのか?と思います。脳や心は不安定を嫌がります。繋がりを見つけ出そうとします。意味を見出そうとします。
ゲシュタルト心理学などは、この辺とても優れている捉え方ではないのか?と思います。「憑依」だけのことではありません。例えば「痛み」。
「何故痛いのか?」「痛さの原因を知らないと心が落ち着かない」。別段、霊能だけではありませんよね?「この痛みを知る為に、いくつもいくつも病院を訪ねる」そんな人が数多くいるのではないでしょうか?
昔、私のお客さんのお医者さんがぽろっと言ってましたが「病気の名前を付けないとなかなか帰ってくれないんだよね」って。勿論今ではそんなことはしないと思いますが、それで納得してその病気のお薬を飲めば痛みが消える場合もあると思います。それがその病気じゃなくても、その薬がビタミン剤でも(笑)。

こんなことも元をただせば「憑依」の単語の代わりに「痛み」を入れただけかもしれません。
しかし、「意味がないこと」もあるのではないでしょうか?「怖いもんは恐い」「痛いもんは痛い」「意味なく痛い」「生きているから痛い」。

「辛いもんは辛い」「ただ辛い」「生きているから辛い」。もしかしたら、負の連鎖を断ち切る為には「犯人捜し」をしないことも時には必要かもしれませんね?