話を解りやすくするために、お話ではこの先輩、ちょっと嫌な奴のように書いてしまいましたが、「本当はイイ奴」です(笑)。何故ならこの後、鍛えても「石が割れない」俺を不憫に思ったのか、何度も呼びつけて見せてくれました。それでバカな俺は「やっと気づけた」というオチがあります。
(因みに達人でこの方法を取ってないで割れる人、もしくは通常割れない種類の石や形状の石を割ることの出来る人の事ではありませんので、あしからず)
こんなお話は、普通どうでもいいお話だと思うんですが(笑)、何が言いたいかと言えば、世の中には以前の私のように「石を割れる人」を見て勝手な先入観で「石を割れる人」は皆、達人だと思い込み、そしてそれに憧れ、それが出来るまで全然方向性の違った努力を続けては「嘆く」、そんな人もいるんじゃないのかな?ってことです。
この先輩のように、実際そんなに鍛えてなくとも「石を割ること」だけに執着し、「石を割る」という演出を人にアピールすることで、自分なりに努力して鍛えた私より「強い」人だと他人は思うはずです。実際にやり合わなければ解らない事です。でもこの先輩は私より体は鍛えてないけど、「どんな形状の石が割れやすいのか?」「どの種類の石が割れるのか?」「石を割る技術はどんな方法があるのか?」は、私なんかより遥かに秀でています。ですから一見、人には不可能だと思えることでも出来る技術を取得したんだと思います。「石を割るデモンストレーションを行う一点」に集中し、自分の頭で考え、石の事を知りつくし、色々な試行錯誤を繰り返し、技術を磨いた。そんなふうに見れば、私が一生懸命に身体を鍛えた努力とそんなに変わらないのでは、とも思います。
私の目的は「霊的なものに悩まされない事」「今の自分よりもっと強くなりたい事」そして「石を素手で割れるといいなー」だったんですよね。しかし、この先輩はとにかく石を素手で割れれば、皆が自分をとても強い奴だと「幻想を抱く」、ただその一点に集中した。そういう事です。今でも私はこの「石割りの出来事」と同じようなことをしてしまう自分に気づきます。でも「できたらいいなー」のオマケは叶えられなくとも、努力することで以前の自分より少しだけでも成長できてれば「まっ、いいか」なんて常に思って生きてます(笑)