集合無意識や元型を、「何か」があると大雑把に捉えてみましたが、それらの考えをユングは更に発展させて、シンクロニシティーという考えに至りました。
皆さんは「シンクロする」と言われた時、どんなイメージがわくでしょうか?
シンクロナイズドスイミングをイメージされる方もいるでしょうね。
このシンクロナイズの「シンクロ」などは「周期を一致させる」とか「時間を一致させる」とか「内容を一致させる」とか「タイミングを合わせる」などと使われやすいと思います。
シンクロニシティーもこんなイメージから入ると解りやすいと思います。
例えば、友達とカフェで「そう言えば、〇〇さんどうしてるんだろね」と、外を眺め話をしていると、まさにその時、〇○さんが横断歩道を歩いていく姿を見かけたとか
「そう言えば最近〇〇君ラインこないな」って思った瞬間、ラインがきたとか居酒屋で先輩に上司の〇〇課長の悪口を言っていたところ、その店に〇○課長が入ってきた 。
こんな感じの事は誰でも日常体験する事ですよね。
このくらいの事なら説明もつきますが、因果関係では100%説明できない事も世の中には多くあります。
思春期の性エネルギーが強い時などは、シンクロも無意識のうちに引き起こされたりしやすいのではと思います。欧米のポルターガイストが起こる家には思春期の少女が多いという調査報告もありますよね。
私も少女ではないのですが、十代の性エネルギーが強く働き、神秘的な事はなるべく除外して鈍感になろうと、武道などで身体を鍛えていた時などでも、シャレにならないほど「シンクロ」が働いた時期があります。
「ホントに大丈夫か、俺?」なんて思った時もありました。
少しだけ自分の話しをすれば(話せる事と話せない事がありますが(笑))
害のないもので、しかしそれでも「それはあまり無いよね~」と思われるかも(笑)
私は「戦う」という当時の自分のテーマから「死」について考えていた時です。
しかし、「肉体がなくなっても霊体になる」とか「死後の世界がどうなっているのか」などの考えではありません。幼い時からの「霊的な体験」はあくまで幻想なんだと排除して考えるようにしていました。
それより「死ぬときはどういう気持ちなんだろう?」「恐れはあるのか?」「痛いのか?」「死んだ時、誰が悲しむんだろう?」「死体になった自分は?」などの考えでした。
そんな時、叔父から電話があり「〇〇お前、今度の○曜日に時間があるか?時間があれば人手がないから手伝え」と言われました。叔父は建築関係の仕事をしていて、私が十代の頃、休日だとたまに手伝いをさせられていました。
そこで教えられた現場に向かいました。現場は建設中の「パチンコ屋さん」です。
現場に着くとパチンコ屋さんの脇にある用水路に何人かの建築関係の方達が用水路を覗き込んでいました。
その一人が「うーん」と言いながら棒で何かをつついてます。で、俺もその中に混ざり「何してるんですか?」と言うと、「兄ちゃん、これ何だと思う?」と言いながら突いています。
「えーっ、死体ですか?」って直感的に言うと、突いているオジサンは「そんなわけねぇだろ。何でこんなとこに死体があるんだ?それにパンパンに膨らんでるから、これはダッチワイフだろ。」
俺が「いやー、ちょっと違うような・・」と言うと、オジサンは「おまえも突いてみろ。でも、ゴムにしては何か感じが重いんだよな。」
その後、警察と新聞社がかけつけました。やはり女性の水死体だったようです。
(ちなみにこの事件は報道に取りあげられずに揉み消されたようです。遺体が名のある方の奥様だったので)
「死について」と「死体」、これくらいなら「何となく偶然かな?」って当時は片付けるようにしていました。
何しろ鈍感力を鍛える必要があったので(笑)しかしまだまだ続きがあります。
書けるところだけ書きます(笑)
次の日、繊維問屋で働いている姉を訪ねる用事がありました。その会社の社長は幼少の頃から知っていたので、その会社を尋ねるのも抵抗はありませんでした。その繊維問屋のある路地を歩いていると、上から目の前に鉄のボルトが落ちてきました。
本当にスレスレでしたので、一歩間違えれば「死ぬ」か大ケガでした。
「おー、死ぬところだった」と思いながら、「これも死と関係あるのか?」と、ふと思いました。
(この数日前にはテレビでボルトが頭に落ちて亡くなった方の報道をたまたま見たばかりでしたので本当にびっくりしました。)これで終わればよいのですが(笑)
「あぶねーなー」と思い、何歩か歩いていくと、何と今度は「人」が降ってきました。
本当にこれも目の前でした。ボルトよりも距離はありましたが、まさかボルトの次は人が降ってくるとは思いませんでした。
さすがにこの時は「人の死まで引き付けたのか?」と本気で悩みました。
しかし後日、報道で知ったのですが、この方は奇跡的に大きな怪我もせず助かったそうなので、ほっとしました。
この時から生きていることに感謝して、「死について」考えることは止めました。
もちろん、それにともない現象もおきなくなりました。
余談ですが、これらの話は話しても害はないほんの一例ですが、こんなシンクロが次から次にことごとく続くと「やはり鈍感力を鍛えれば済む」話ではなくなってきました。
故にこの頃から「本気で取り組まないとまずいな」と、また神秘的なことと向き合いだしました。