無意識の探究としての夢での探究は、本来脳の進化過程と逆のルートをたどることではないかなと思います。
脳は古皮質(旧皮質)=魚類から、原皮質=両生類から、新皮質=哺乳類から成っています。
よって、人が多く持ち合わせている脳→哺乳類が多く持ち合わせている脳→爬虫類が多く持ち合わせている脳→魚類が多く持ち合わせている脳、という順番に無意識の探究が進んでいきます。(持ち合わせているとは、比率やよく使用される部位ということです)
(仮説の「脳の三層構造」を説明したものではなく、概念として捉えた知性の発達にすぎないのでご了承下さい)
ですから、夢を意識しだした最初の頃は、日常の出来事や人が多く現れます(記憶の整理や欲求の充足も含め)。更に進むと動物の夢を多く見るようになってきます。更に進むと魚類、両生類、爬虫類の夢を見るようになってきます。更に昆虫や原生生物的な夢、そしてやっと魑魅魍魎の世界が出てきます。こうして意識の拡大が徐々に訪れて、無意識の領域が意識化されてくるのではないかと私は考えます。
神話(魑魅魍魎、天使、精霊、古代神なども)の世界は現実とは違う世界です。物語の世界、神話の世界、集合無意識の世界などで、とてつもない純粋な恐怖を突き付けられることもあります。
夢でも秘儀参入(この方面の方に怒られるかもしれませんが、簡単に言えば不思議な理の世界に足を突っ込むということです)ができます。
「洞窟くぐり」や「トンネルをくぐる」「鳥居をくぐる」なども、この世界へ参入した証となります。
更に、何度も何度も死ぬ夢などを見るはずです。「五体分断」と言い、五体をバラバラにされる夢を見ます(首などを引きちぎられるのも同じです)。その後、赤ん坊が生まれる夢などを見ると「死と再生」が成功したとみなしてよいでしょう。
こうして何度も何度も意識と無意識のやり取りが行われます。北米インディアンを始め、オーストラリアのアボリジニなど、世界でも多くの民族がこの「五体分断」をシャーマンになる過程で見る夢と位置付けています。「神から精霊などと対話ができる力を借りることができるようになる」とも言われています。
また、物質界(現実)とは違う理に生きる人たち、また生きようとする人たち、何らかの才能や能力、魅力を得たい人達の試験のようなものがあります。心の奥に潜む恐怖に打ち勝つことです。宝の前には必ずそれを守ろうとする「おっかない輩」がいます。
神社の境内の狛犬、阿吽象、スフィンクス、みな同じことを物語っていると思います。無意識の奥にある宝物を手に入れるために、この「おっかない輩」と対峙しなければいけません。試練とはこの恐怖に打ち勝つ課題をクリアすることです。
少し(かなりかな?)オカルトぽっくなりましたが(笑)