「運」という、今まではスピリチュアルやオカルトが扱ってきたようなものを、近年「脳科学」や「心理学」でも扱うようになってきました。その結果、判ってきたことが多くあります。

その研究や実験で判ってきた「運がいい人」とはどういう人かといえば、まず重要な要素が「自分は運がいい」と思い込んでいるということです。
では、運を良くするには「自分は運がいい」と思い込むだけでいいという極めて単純な事になります。
それなのに何故、それができてる人、即ち「運がいいと思ってる人」」と、できてない人、即ち「運がいいと思えない人」がいるのでしょう。

ここで私が思うことは、
「運」をどう認識しているのか?
どういう「イメージ」で運を捉えているのか?
この違いで「運がいいと思えるか」「運がいいとは思えないのか」が違ってくるのではないか?ということです。

まずはこのイメージを変えないと、「運がいいと思い込むだけ」と言われても、なかなか思い込めない人も多いでしょう。
例えて言うなら、雨が降るのは自然な現象です。
初めてのデートで遊園地に行こうと決めた人には
「あーあ、雨が降るなんて運が悪いな」と受け取る人もいます。
しかし水不足で苦しむ人々には、それこそ「恵みの雨」
「これで助かった。運がいい」と受け取る人もいるでしょう。
受け取る人により、同じ雨でも「運がいい」事にもなれば「運が悪い」事にもなります。しかし、雨が降るのは自然な現象です。

ここで言いたいのは、「運」とは雨のようなものだという事です。
誰にでも同じように雨が降ったり降らなかったり、平等に訪れる事を状況や人、時、場所によって、それが「いい事」として捉える事ができたり「悪い事」として受け取ってしまったりするということです。

では、運を良くするには捉え方を変えれば「自分は運がいい」と自信を持って言えるのではないでしょうか?
だってそういう捉え方をするのは自分ですから。
外の世界や現象を「運がいい」と自分が納得できる捉え方をすればいいんですから。
納得できる答えを見つけるだけなんです。「他者に何と言われても、自分が納得する答えを見つけられたらそれを信じる」。それが出来てもその事を人に言わない。
(必ず否定する人が現われますから、信じ切れるまで言わない)

これが最初の一歩。その習慣がいずれ「私って本当に運がいいかも」と思えてきて、「私、運がいいから」となり、本当に「運をよくする行動を自分自身が取れるように、自然になってくる」
雨を降らせようとするより雨の日を楽しく過ごせる方法を考え出す。

初めてのデートで遊園地に行こうと決めてたが「雨が降るとはなんて運がいいんだ」、室内で過ごさないといけないからこれで一気に彼女(彼)と親しくなれるかも?

本日も軽く少しづつ。